五島プラネタリウム資料館

五島プラネタリウム資料館では五島プラネタリウムにまつわる貴重なグッツや記事を展示中です。

五藤光学研究所で初期の段階から国産プラネタリウムの開発に携わった児玉光義氏による論文。

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プラネタリウム技術の系統化調査

国産プラネタリムの変遷を技術的観点から綴った貴重な論文です。

最後のポスター、村山館長らのサイン付きです。(資料提供、小川誠治)

さよならパスネット。サイン付きです。(資料提供、小川誠治)

 毎月のパンフレット第1号と最終号。五島プラネタリウム星の会会報誌第1号 (資料提供、小川誠治)

オーロラ誠ちゃんの五プラ、あの日、あの時
第1回 1982(昭和57)年7月26日野辺山宇宙電波観測所を初めて見学

国立天文台野辺山宇宙電波観測所に復元設置してあります、三鷹200MHz太陽電波望遠鏡が、日本天文学会で2024年度の日本天文遺産に認定されました。いわば「ALMAの祖先」という天文学史上極めて重要な装置が野辺山には残っていて、たくさんの物語があります。野辺山にはまだまだ活躍してもらわなければいけません。

国立天文台のHPを拝見しますと、「1982年(昭和57)年3月1日野辺山宇宙電波観測所開所式」と記載されています。
 五島プラネタリウムでは夏を中心に、郊外での宿泊観望会を開催していました。1982(昭和57)年7月24日~26日、白馬八方の丸北旅館で夏の観望会が行われました。渋谷・東急文化会館付近から大型バスに乗車します。担当は増澤等、木村直人の両解説員でした。この観望会の帰り道に野辺山宇宙電波観測所を訪問したわけです。45m望遠鏡の裏当たりにあった、工事用の金網から入ったように記憶しています。写真のように周辺はまだ工事をしていました。みんな、この大きな電波望遠鏡の迫力に度肝を抜かれていました。これが、五島プラネタリウム星の会と私が野辺山宇宙電波観測所との初対面でした。
 ところで、この観望会ですが渋谷を出発する頃から、九州に台風が上陸し、星など全く見えないことが予想されましたが、「向こうへ着いたら晴れるだろう」と呑気なことを言っていましたが、やはり見えませんでした。(笑)現地到着後両解説員から、「ジュニアクラスの小学生がいるので、小川さんどう子守をしたら良いですか」と相談されてしまいました。(笑)白馬でちょうど漫画王国という、まんがのイベントが開催しているとの情報を事前に掴み、こちらでイベントパスポートを買って見学しました。まんがなので、小学生も大人も大喜びでした。また帰路の途中、どこかのマンションの屋上に天文台のドームが見えたので、解説員が交渉してオーナーの了解を頂いて見学したりしました。というわけで、思い出深い観望会となりました。
 なお、本会では2013(平成25)年11月2日から3日にかけて、ペンションスケッチブックで宿泊観望会を行いました。この時に、参加者で野辺山宇宙電波観測所に立ち寄った様子を含めて、2020(令和2)年4月本会会報誌『しぶやの二番星』71号に小川が投稿しています。

 参考資料
 1.1982(昭和57)年11月五島プラネタリウム星の会会誌『しぶやの星』第1号。「白馬観望会こぼれ話」小川誠治。
 2.1983(昭和58)年4月『五島プラネタリウム学芸報第9集』46P「夏の観望会報告」増澤等、木村直人
 3.2001(平成13)年4月25日『五島プラネタリウム44年のあゆみ』

45m鏡の迫力にみんなびっくりしました

45m鏡の周辺の整備がまだ行われていました

ミラーに写る、45m鏡と記念写真をとりました (著者)

オーロラ誠ちゃんの五プラ、あの日、あの時
第2回 1996(平成8)年2月16日最初で最後のコンソールでの講演

1996(平成8)年2月16日五島プラネタリウム星の会で、「オーロラ体験記」と題して講演をしました。星の会の講師は学者や高名な先生が登壇されますので、まさかこの私に依頼があるなど驚天動地のことでした。1994(平成6)年2月のパンフレットNo440表紙に、私が写したオーロラ写真が採用されました。パンフレットは毎回館内に置いてあり、「ご自由にお持ちください」となっていましたが、後日木村直人解説員から、「普段は余ってしまうのに、今回はすぐになくなって、追加印刷した」旨の連絡がありました。こうした反応があったからかもしれません。アマチュアによるオーロラ撮影は珍しい時代でした。五プラでの私のオーロラ写真展も、1994(平成6)年と1995(平成7)年の2回開催され、大きな反響があったそうです。こうした背景もあって、憧れの五プラコンソールでの最初で最後の講演を行いました。
当時は、パワーポイントが普及される以前で、OHPといって、透明なプラスチック薄板にマーカーとかマジックで文字を入れて、オーバーヘッドプロジェクターに載せてスクリーンに映していました。そのページが終わると原稿を入れ替えていました。説明が難しいのですが、スキャナーで一枚ずつスキャンするようなイメージです。早い時間に事務所に伺って、担当の重井解説員に作成して頂きました。この時に使った薄板が見つかりませんが、前年3月までに3回アラスカに行った体験の中から、当時はフィルムの時代ですが、実際に写したオーロラ写真の紹介や撮影に苦労したことなどをお話ししたように記憶しています。あっと言う間に時間が過ぎたことを覚えています。

 アラスカではオーロラが出るまでの時間つぶしと眠気対策のために、テープに入れておいた演歌を良く聴いていました。この中から講演の締めに、小林旭の「熱き心」を流して頂きました。「オーロラの空の下、夢追い人一人~」という歌詞が、自分にピタリだからだと思ったからです。「おーっ」という声が聞こえました。
 質問コーナーでは、何と國司解説員から、「今年はいつ行かれるのですか」と聞かれびっくりしました。「3月17日からアラスカに行きます」とお答えしたら、どよめきが起きました。それから、最後のサプライズとして、実際に極寒のアラスカで着た防寒服を持参して、希望者に着て頂きました。(笑)これは、笑いが起きて受けました。
 そして、星仲間16人連名で花束を頂戴し、感激しました。村山定男先生がお笑いになりながら、「ボクなんか、五プラ星の会では、毎年講演しているのに、花束なんかもらったことないですよ」と羨ましがられました。職場の上司や同僚にも特別にご招待し、記念写真を写そうとしたら、そのたびに「僕も私も」という方が手を挙げて、何度も写し、最終的には膨れ上がり40人以上となりました。全然知らない方も写っています。(笑)

 星の会がお開きとなると、毎回有志で近くにあるビヤホールライオンで二次会を行います。この日もこちらで打ち上げが行われ随分盛り上がりました。

 1.五島プラネタリウムでの、小川誠治のオーロラ写真展としては5回開催されています。
第1回は1994(平成6)年2月15日~2月27日。実際には、3月10日まで延長される
第2回は1995(平成7)年6月10日~7月23日
第3回は1997(平成9)年10月1日~10月31日
第4回は1999(平成11)年7月19日~9月19日
第5回は2000(平成12)年6月20日~8月31日
このほか、
①1994(平成6)年毎月のパンフレットNo440表紙に採用
②1996(平成8)年2月16日五島プラネタリウム星の会で「オーロラ体験記」講演
③1999(平成11)年12月12日星の会ジュニクラス資料、オーロラ写真採用

参考資料
 1.1992(平成4)年3月20日五島プラネタリウム星の会会報誌『しぶやの星』20号。
2.1996(平22)年6月五島プラネタリム学芸報第20集
 3.2001(平成13)年4月25日『五島プラネタリウム44年のあゆみ』

講演中の小川誠治。左は司会の増澤等解説員。小川の後ろに、担当の重井美香解説員。
小川が撮影した、オーロラ写真が表紙を飾った、五島プラネタリウム 1994(平成6)年毎月のパンフレットNo440
五島プラネタリウムパンフレットに採用された、小川撮影の渦状のオーロラ。1993年3月31日アラスカチナ温泉で撮影。
講演会の依頼文
実際にアラスカで来た防寒服を持参し、着てみたい希望者を募ったところ、星仲間のⅠさんが手を挙げてその場で着ました。ドーム内からは, 笑い声やどよめきがたくさんありました。
星仲間16人代表して、若松康広さんから花束を頂戴し、感激しました。
花束を持った姿をコンソールで写したいとのご注文があり、再度コンソールに昇りました。
どなたかが、コンソールから写した写真。
投影機の前で写そうとどなたかが提案して、写した写真。村山先生、大谷豊和先生、村松さん、國司さん、重井さんも入っている。小川の知らない方も何人か写っています。増澤さんが写っていないのでカメラマンをお願いしたようです。
ビヤホールライオンでの二次会の記念写真です
開会前の打合せ後、事務所内を撮影しました。 右に立っているのが増澤解説員、イスに座っているのが木村直人解説員
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